(最新判例:その他)山岳遭難で危難失踪(失踪宣告)が認められました(その2、福島県丸山岳での遭難)

 

山岳遭難による危難失踪申立事件を扱っている弁護士は、全国でもほとんどいないようで、当事務所のホームページを読んで、わざわざ遠方から相談に来られる方もおられます。

 

この事件も、その1つで、「インターネットで読みました」と遠く福島県から法律相談のため来所されました。

 

1、福島県の丸山岳

 

丸山岳(標高1820m)は、私たちも全く知らない山でした。

南会津の最奥部に重畳たる山群が連なり、「南会津のチベット」と呼ばれ、その中心に鎮座するのが丸山岳です。

ドーム状の美しい山容が登山家を魅了する山のようです。

標高は北アルプスなどと比べると低いのですが、冬は積雪量が多すぎて登れる山ではありません。

本には「登山難易度 超上級」と書かれ、無雪期には登山道はなく、沢コースが最も安全とされています。

そのため、多くの登山者にとっては、雪の上を歩くことができる残雪期(4~5月)の方が登りやすい山です。

 

2、行方不明になった経緯

 

福島県在住のSさん(40代男性)は、高校時代には山岳部に所属し、成人後は地元の山の会に所属し、山岳ガイドの資格も持つ山のベテランでした。

2017年5月の連休、いつも同行する登山仲間2人が同行できなくなり、Sさんが一人で丸山岳周辺の縦走登山に出掛けることになりました。

 

計画どおり登山を開始し、電波がつながる所からは、家族に電話をかけたり、メールを送ったりしながら、登山を楽しんでいました。

入山3日目には、丸山岳に登頂し、家族に「これから谷に入るため、圏外で携帯電話がつながらなくなる」と電話をしたのを最後に連絡を絶ちました。

 

帰宅予定日になっても帰宅しなかったため、家族が福島県南会津警察に捜索願を提出し、南会津書が捜索しましたが、見つかりませんでした。

 

3、私たちが代理人として行った活動について

 

そもそも丸山岳を紹介している本が見当たらず、地図も書店で普通に販売されているものの中にはありませんでした。

家族が、丸山岳山頂付近でSさんと偶々出会ったという登山者と連絡が取れていたので、その目撃者の方に連絡を取り、Sさんと出会った時の状況を尋ねるとともに、丸山岳に関する本も紹介してもらいました。

その本は、平成10年に発行された本で、出版社では既に絶版になっていたので、やむなくネットでやや高額でしたが、購入しました。

 

私たちは、Sさんが丸山岳に登頂した後、急峻な谷に下っていき、そこで、雪崩あるいはクレバスなどに落ちた可能性を考え、残雪期登山の特徴と危険性についても調査しました。

 

気象データも調べたところ、Sさんが入山した日から急に気温が上昇し、高温のため融雪が一気に進行し、表層雪崩などが発生した可能性や雪渓からの転落なども考えられました。

 

丸山岳の特徴ととりわけ残雪期登山の危険性などをまとめ、また、Sさんには自殺や自ら行方不明になる事情はないという資料も集めました。

 

3、危難失踪の審判

 

2019年9月福島家裁田島出張所に申立書を提出しました。

すると、11月になって、家裁の調査官から面談したいので、家裁まで来て欲しいと電話がありました。

田島出張所は遠いので、家裁の会津若松支部で12月に面談することも可能と言われました。

「雪が降りますかね?」と尋ねると、「降るかもしれませんね」という返事でしたが、その冬は暖冬で、全く雪はありませんでした。

福島家裁会津若松支部に、家族も同行し、私たち代理人弁護士とともに、2人の調査官と面談しました。

調査官は登山経験が全くないようで、直接、丸山岳や残雪期登山の遭難の可能性を説明しました。

そして、2020年5月、危難失踪の審判が下りました。

 

4、なぜ、危難失踪宣告を申し立てるのか?

 

家族は、Sさんが遭難したことを確信していました。そして、次第に、子どもや親とともにきちんとSさんを弔いたいという気持ちが強くなっていきました。

もとより行方不明のままでは、遺族年金や保険金の支払いはなく、他方で、Sさんが加入していた生命保険の保険の掛け金は、行方不明の間もずっと払い続けなければなりません。

まだ年齢の若いSさんの家族には、それも大きな負担になっていました。

 

危難失踪が認められ、「先生たちにお願いして良かった」と感謝の言葉をかけられ、本当に弁護士冥利につきると思いました。

 

(弁護士村松いづみ・村井豊明)