弁護士村松いづみのblogマチ弁の日々

「わらじ医者」早川一光さん死去

 

本日2018年6月5日付け京都新聞朝刊1面に、戦後まもなくから京都の地域医療に尽力し「わらじ医者」と親しまれた早川一光(はやかわ・かずてる)さんが、6月2日に亡くなられたという報が掲載されていた。

94歳。

 

生前の早川先生とは直接面識はなかったが、半世紀にわたって堀川病院において地域医療に携わり、また1987年から約30年にもわたりKBS京都のラジオ番組のパーソナリティも務められた医師として、京都では有名な人であった。

 

闘病生活に入られてからは、京都新聞の「こんなはずじゃなかった」という連載の中で、今度は「患者」の立場から医療制度への問題提起や「老い」との向き合い方を、時には笑いを交えて語っておられ、いつも愛読していた(2017年3月10日の当ブログ)。

 

京都新聞の記事によると、早川さんは、5月31日の連載の最終回を見届け、その2日後にモットーである「畳の上で大往生」を全うされたとのこと。

 

最終回のタイトルは、「生きている限り虹を追いかけたい」。

 

「患者さんの臓器だけ診るのではなく、環境、暮らしのなかから診るという医療。物事を総合的に捉える必要性を、僕はどうしても言うていきたい。」

「自分たちのための教育、医療、福祉を、どうすれば自分たちでつくり手に入れられるか。これって難しいなあ。」

「ちょうど虹みたいなもんや。虹に向かって走ると、忽然と姿を消す。でもな、この見えにくくなったものを追いかけたいと思っている。」

「それでも、少しでも近づきたくて。」
「これが、今の僕です。」

 

ずっと目標を持って進んでいく・・・それが「生きる」っていうこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奥琵琶湖へのミニ旅行

 

週末、マアマアの天気だったので、奥琵琶湖方面へ足を伸ばした。

 

●びわ湖バレイ

 

ロープウエイに乗って、打見山(1100m)へ。

ここのロープウエイは日本最速の速さだそうで、観光シーズンは秒速7m、冬期は秒速12mとのことで、数分で山上に到着した。

びわ湖バレイは、近年、びわ湖テラスが設置されたり、空中散歩・ジップラインなどアドベンチャー体験ができることもあって、人気が高まっている。

 

打見山から蓬莱山(1174m)までは、スキー用のリフトに乗って行くこともできるが、もちろん歩く。

蓬莱山山頂にも木製のテラスが設置されており、そこから琵琶湖を眺めることができる。

この日は薄曇りで、景色はイマイチだったが、それほど暑くもなく、山上には心地よい風が吹いていた。

 

人混みを避けて、琵琶湖には面していない反対側の山頂で、昼食用の焼きそばを作って食べる。

午後1時過ぎに下山したが、まだまだ観光客がたくさん入って来ていた。

 

●高島市マキノのメタセコイア並木。

 

マキノには、とても美しいメタセコイアの並木がある。

この並木道は、赤坂山などに登る時に通る道だが、いつもは車でアッという間に通り過ぎ、ゆっくり歩いたことがなかった。

 

並木は全長2.5キロ。

ここをゆっくりと歩く。

 

 

このメタセコイアは、秋は紅く、冬は雪で白く染まる。

また、秋も冬も来てみたい。

 

●琵琶湖の天然うなぎ

 

うなぎ屋は数々あれど、天然うなぎが食べられる店は、ほとんどない。

長浜市の「住茂登」(すみもと)では、琵琶湖の天然うなぎが食べられる。

それも5月頃から8月頃限定。

食べに行ってみた。

店は、黒壁スクエアの近くにあった。

 

 

 

 

これが、天然うなぎ。

 

 

かなり肉厚のため、蒲焼きには向かず、白焼きにしたものを、わさびじょうゆや塩で食べる。

味は、あっさり。

私は、やはり蒲焼きの方がいいなあ。

 

5月15日、葵祭の日の「羅紗庵」

 

5月13日付けブログの続き。

 

5月15日、葵祭。行列は午前10時半頃から、堺町御門から出発の予定。

朝から快晴で、暑い。

よくよく考えたら、この日午前中、私は、裁判も含め仕事が入っており、祭りを鑑賞する時間はない。

それでも、京都地裁での午前10時の裁判を終えた後、丸太町通りから事務所に戻ることとし、堺町丸太町角にある「羅紗庵」の前を通った。

 

瀬戸内寂聴さんの姿がないかと「羅紗庵」の2階を見上げると、普段は雨戸で閉ざされている2階の窓がガラス窓になっている。

やっぱり、新聞に書かれていたように、今年も見に来られているんだ。

 

ただそれだけを確認して、行列開始を待つ間もなく、事務所に帰った。

 

 

 

瀬戸内寂聴さんの「羅紗庵」は、ご近所さん

 

うちの事務所は、「堺町通竹屋町下る」にある。

南北に通る「堺町通」と東西に通る「竹屋町通」の交差点から「下った(さがった)」=南行した所にある。

 

瀬戸内寂聴さんは、「堺町通丸太町角」に町屋「羅紗庵」を所有されている。

 

 

 

「丸太町通」は「竹屋町通」の一筋北側にある東西に通る幹線道路で、京都御苑の南側に接しており、「羅紗庵」は御所の堺町御門の真ん前に位置している。

だから、うちの事務所と「羅更庵」とはご近所なのである。

 

「堺町通丸太町角」の町屋が瀬戸内さんの所有であることは、誰かから聞いて、以前から知っていたが、ここに人が出入りしたり、明かりが点っていることを見たことがないので、利用されていないんじゃないかと思っていた。

 

その瀬戸内さんが、2018年5月13日付け京都新聞朝刊に「葵祭とわが誕生日」と題して寄稿されていた。

瀬戸内さんの誕生日は、葵祭の日の5月15日である。

そして、この投稿を読んで、瀬戸内さんが、毎年5月15日には「羅紗庵」に来て、御所の堺町御門から出てくる葵祭の行列を見物されていることを知った。

 

瀬戸内さんは、この町屋のことを

「私が徹底的に手を入れて建て直した町屋で、電球の笠まで、大正時代のものに付け替えた。遺言で私にくださった、チベット学者の佐藤長先生にちなんで『羅紗庵』と表札をかけている。その2階から見物すると、馬に乗った人と鼻をつきあわす近さに行列が迫る。その行列も毎年、これが最後かな、と眺めている私である」

と記されている。

 

京都御所の近所にいながら、ここ数年、葵祭をわざわざ見に行ったことはない。

でも、今年は、瀬戸内さんを見に、行ってみようかな・・・

 

 

 

 

 

 

 

母の思い出~十二単(アジュガ)の花~

 

 

毎年、4月の今頃の時期になると、当事務所がある堺町通りに面する近所のマンションの花壇に、鮮やかで可憐な花「十二単」(アジュガ)が咲く。

紫色がとてもまぶしい。

 

毎年、この花を見るたびに、亡き母のことを思い出す。

 

母は、2000年4月に、突然、ガンであることが判明した。

入院して手術を受けることになった母は、ある日、私に「もう、そろそろ、庭に十二単が咲き始めていると思うよ」と言った。

母が入院する前は、年度がわりの4月という時期に帰省したことなどなく、従って、実家の庭に「十二単」という花が咲いているところは見たことがなかった。

 

夜、病院から実家に帰り、翌朝、雨戸を開けると、庭の通路脇一面に鮮やかな紫色が広がっている光景を目にし、思わず息をのんだ。

すごい!

まるで紫の絨毯を敷いたような、美しさだった。

きっと母が自慢の花だったんだろう。

「ものすっごく、綺麗やった」と病床の母に報告すると、母はとても嬉しそうだった。

 

母は2ヶ月後の6月末に亡くなった。

実家は無人となり、庭は私が時々帰省して草取りをするくらいであったが、それから数年間は、毎年4月に実家に帰省すると、この十二単が鮮やかな紫色の花を見せてくれた。

 

母が亡くなってもう18年が経とうとしている。

でも、春に「十二単」の花を見かけるたびに、亡くなる直前の母の姿を思い出してしまう。

 

 

 

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