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「こんなはずじゃなかった」~故早川一光医師の展覧会~

 

京都の地域医療・訪問医療の草分け的存在の早川一光(かずてる)医師が昨年6月2日に亡くなられて、もうすぐ1年が経とうとしている。

早川医師のことは、これまで、このブログで2度書いた(2017年3月10日付け、2018年6月5日付け。右検索欄に「こんなはずじゃなかった」と入れて検索してください)。

 

2016年1月から京都新聞で始まった早川医師の連載「こんなはずじゃなかった」。

早川医師自身がガンにおかされ、寝たきりとなって闘病生活を送る中で、亡くなるまで約2年半続いた。

軽妙な語り口で語る本音は、とても面白く興味深かった。

その連載は、今年2019年の坂田記念ジャーナリズム賞も受賞した。

 

その早川医師を撮影した写真や収集資料を再構成した展覧会が、現在、京都新聞社2階ギャラリーで開催されている(4月13日~5月12日。午前10時~午後5時)。

 

 

 

 

早川医師の闘病中の姿、家族、自宅などが大判のパネルで展示されているほか、昭和20年8月15日の終戦の日から、早川医師が亡くなる昨年までの新聞記事が年を追って順に並べられ、その中で早川医師の地域医療のとりくみの歩みや国の医療政策などが紹介されていた。

 

 

 

早川医師は、確実に、京都の庶民の歴史を作ったお一人であったと思う。

 

 

 

 

 

タイ洞窟の少年救出事件の「光」

 

2018年7月、タイ北部の洞窟に13人の少年らが閉じこめられた事件はまだ記憶に新しい。

ダイバーたちによって、全員が無事救出された。

 

そのタイの少年たちのサッカーチームが、2019年4月5日来日し、翌6日、福島県を訪れ、地元のサッカーチームと交流試合をした。

なぜ、福島なのか。

 

2018年11月21日付け京都新聞夕刊1面の「現代のことば」欄に、立命館大学の開沼博准教授が次のような文を書いておられ、それが、とても感動的な内容だったので、切り抜いて保管していた。

 

救助活動の苦労の1つに「光の確保」があった。

複雑な構造をした洞窟のため、ライトで照らしても行き先を把握しきれない。

そんな現場に600個の「光る石」が持ち込まれた。

電気がなくても水の中で発光する畜光磁器。

ダイバーはこれを道しるべとして、すべての少年らの救助に成功したという。

 

そして、実は、この畜光磁器は福島第1原発事故の後、全村避難の対象となった福島県川内村で作られたものだった。

この事件の時、川内村の遠藤村長とこの畜光磁器を製造する企業「コドモエナジー」(本社、大阪)の岩本社長がタイを訪問していたことがこの偶然につながったという。

社会の役に立つものを福島の被災地から発信したいと、原発事故後、川内村に工場が作られ、製造されてきたのだった。

そして、タイの洞窟の中で、その畜光磁器は光輝き、少年らの救出につながった。

 

あの世界的に注目された事件に、このような日本人の素晴らしい貢献があったのだ。

 

実は、岩本社長は、否応なく衰退して弱っている地域を応援する事業が必要だと考え、川内村でも工場だけでなく、カフェやイベントで移住や交流人口を増そうとかしているという。

 

岩本さんの活動が「光」のように輝いている。

 

 

 

 

香川の旅(その2)~女体山(にょたいざん)~

 

今年初めての登山は、香川県のさぬき市と東かがわ市にまたがる山、女体山(にょたいざん、774m)。

女体山を越えると、第八十八番札所「大窪寺」があり、そこが下山の目標地点。

 

「道の駅ながお」の向かいに「お遍路交流館」があったので、そこに立ち寄り、「大窪寺」まで歩くMAPをもらい教えてもらった。

当初計画していたよりも近道があることがわかった。

 

最初は、バス通りを歩き、次のバス亭から川沿いの道に入る。

しばらく進むと、「四国のみち」(おへんろの道)と書かれた道標があった。

ちゃんと「大窪寺」も示されている。

 

最初、道は、ゆるやかな坂道が続く。

途中、何回か、林道を少し歩いては、また山道に入ることを繰り返した。

所々に道標があり、迷うことはない。さすが、お遍路さんの道である。

 

 

どんどん進んでいくと、ようやく山らしい急坂の登山道となった。

今年初めての登山なので、まだ身体が登山向きとなっておらず、登山道も突然急坂となり、結構、息が切れる。

山頂直下は、岩場をよじ登り、頂上へ。疲れた~!

 

山頂は木々に囲まれ、あまり展望はない。

バスの時間に間に合うようにと、おにぎりを1個食べただけで下山開始。

 

第八十八番札所「大窪寺」に到着。

 

 

バスにも間に合った。

女体山までのお遍路道では、誰一人、登山者にもお遍路さんにも出会うことはなかったが、帰りのバスでは、何人かのお遍路さんと一緒になった。

皆、大窪寺へは、女体山を越えてではなく、バス道を歩いて来ているようだった。

そうだよねえ~、こんな山は、なかなかしんどくて登れないよね~

 

オマケ

帰りに寄った亀鶴公園(きかくこうえん)の前の神社(宇佐神社)の石像は、なんと猫だった。オモロ。

 

 

この初登山の後は、太ももの筋肉が痛み、数日間、階段を下りるのに苦労した。

情けな~い!

 

香川の旅(その1)

 

2019年3月末、今年の初登山とお花見を兼ねて、香川県を旅した。

 

まず、香川県三豊市(みとよし)へ。

「三豊市ってどこ?何があるの?」と言う人も多いと思う。

私もつい最近まで知らない町だった。

毎週火曜午後8時から、BS朝日で、「三宅祐司のふるさと探訪」という番組が放映されている。

三宅祐司が、毎週1カ所の土地を訪れ、地元の人の「ふるさと自慢」の食べ物や景色を探して歩く。

三宅祐司と地元の人とのふれあいもほのぼのとしており、毎週楽しみに観ている。

三豊市は、この番組を観て知った。

 

三豊市に入り、まず訪れたのは、「元祖 たこ判」の店「小前(こまえ)」。

 

 

「たこ判」は、大判焼きの型で焼く、大きな(直径10センチ位)たこ焼き。

 

 

卵たこ判は1個150円。メチャクチャ安い。そして美味しい!

1個で十分お腹がふくれた。

何十個も買う人もいて、その時は、事前に予約した方がよいらしい。

 

次は、讃岐うどん。だが、番組で登場した店は休み。

やむなく通りがかりの店に入る。

「かけうどん」「釜揚げうどん」「ぶっかけうどん」など種類が一杯あって、うどん通ではない私にはどんなうどんなのか、さっぱりわからん。

店の人に教えてもらい、肉ぶっかけうどんを食べる。

 

お腹もふくれたので、紫雲出山(しうでやま、352m)へ。

山頂まで徒歩10分の所に駐車場があるので、紫雲出山へは車で行った。

 

 

山頂には、吉野山に劣らぬほどの桜のみどころがあるということで訪れたが、桜はまだ開花しておらず、1週間早かったかなあ・・・

 

山頂展望台から桜の木々と瀬戸内海の島々を望む

 

 

山頂には、弥生時代の高地性集落の遺跡館があった。

 

 

この日の最後は、最も楽しみにしていた「父母が浜(ちちぶがはま)」。

約1㎞にわたる海水浴場で、「日本の夕陽百選」にもなっている。

 

夕方、引き潮になると、砂浜にできた潮だまりが水鏡のように人物を映すということで、若者を中心に「インスタ映え」するスポットとして人気の地。

三宅祐司の番組では、確か、あいにくの雨あるいは曇りだったような記憶。

この日は、晴れてはいたが、夕日までにまだ時間があり、しかも風で水面が波打っており、待てど待てど、なかなか水鏡のようにならない。

 

若者たちが色々ポーズをとっていたので、撮らせてもらった。

 

 

水鏡の写真はあきらめ、私も裸足になって海の中に出来た砂浜まで歩いて行った。

素敵な場所だった。

ショーケンは、青春の1コマ

 

歌手で俳優の、ショーケンこと萩原健一が3月26日亡くなった。享年68歳。

 

グループサウンズ(GS)全盛時代、私は、ザ・テンプターズのボーカルだったショーケンの大ファンだった。

当時、私は中学生。

GSでは、ザ・タイガースのジュリーこと沢田研二が甘いマスクで圧倒的人気だったが、私は、人なつっこいがどこかクールさがあるショーケンの方が好きだった。

岐阜の田舎で暮らしていた純朴な(?)少女だったため、コンサートに行くとかファンクラブに入るとかなどは、およそ思いもつかなかったが、出演するテレビ番組を欠かさず観ることはもとより、レコードを買ったり、「平凡」や「明星」という当時の芸能月刊誌を毎月買って、写真のページを切り抜いて集めたりして夢中になった。

「お兄さんになって」とファンレターを書いたこともあった。

これほど芸能人に夢中になったことは、この中学生時代だけだった気がする。

 

でも、人気の頂点にいた当時の彼は、かわいい衣装を着せられ、気に入らない曲を歌わされるのが我慢できなかったらしい。

そしてグループサウンズの全盛が過ぎ、彼が再び俳優としてテレビなどに登場した頃は、私は大学生となり、テレビのない生活を送っていたので、ショーケンが出演していたというテレビドラマは全く観たことがない。

また、当然、私自身の彼に対する熱も冷めていたと思う。

 

昨年、NHKで放映された「不惑のスクラム」(高橋克典主演)は、なかなか胸を打つドラマだった。

彼は、ヤンチャーズという中高年のラグビー部の重要な役割を演じていた。

ガンで死んでいく役で、久しぶりに観たショーケンはずいぶん年をとったが、いい味を出していた。

 

ショーケンは、間違いなく私の青春の1コマを飾った歌手だった。

そして彼が出演したドラマや映画を観る機会があれば、私が見逃した彼を感じることができるのになあと思う。

 

 

 

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